広島地方裁判所 昭和61年(ワ)879号 判決 1991年5月29日
原告
中川浩史郎
原告
石川弘
右両名訴訟代理人弁護士
山田延廣
被告
広島化製企業組合
右代表者代表理事
萬谷正一
右訴訟代理人弁護士
渡部邦昭
同
開原真弓
右訴訟復代理人弁護士
高岡優
主文
1 原告らが被告に対し労働契約上の権利を有する地位にあることを確認する。
2 被告は、原告中川に対し、一四九四万八七二一円及び内金一六〇万五二三六円に対する昭和六一年八月一日から支払済まで年五分の割合による金員を支払え。
3 被告は、原告中川に対し、平成二年九月八日以降本判決確定に至るまで毎月二八日限り二二万三九二九円、毎年七月三一日限り二五万円、毎年一二月二五日限り二〇万円を支払え。
4 被告は、原告石川に対し、一五一三万六七九一円及び内金一六二万六二五〇円に対する昭和六一年八月一日から支払済まで年五分の割合による金員を支払え。
5 被告は、原告石川に対し、平成二年九月八日以降本判決確定に至るまで毎月二八日限り二二万六二五〇円、毎年七月三一日限り二六万円、毎年一二月二五日限り二〇万円を支払え。
6 原告らの賃金請求及び一時金請求のうち、この判決の確定後のものにかかる訴えを却下する。
7 原告らのその余の請求を棄却する。
8 訴訟費用は被告の負担とする。
事実及び理由
第一請求
1 原告らが被告に対し、労働契約上の権利を有する地位にあることを確認する。
2 被告は、昭和六一年七月以降毎月二八日限り、原告中川に対し二二万三九二九円、原告石川に対し二二万六二五〇円を各支払え。
3 被告は、昭和六一年以降毎年七月三一日限り、原告中川に対し二五万円、原告石川に対し二六万円を、毎年一二月二五日限り原告中川に対し二五万円、原告石川に対し二五万円を各支払え。
4 被告は、原告中川に対し二四五万五二三六円、原告石川に対し二四七万六二五〇円及びこれらに対する昭和六一年八月一日から支払済まで年五分の割合による金員を支払え。
5 訴訟費用は被告の負担とする。
第二事案の概要
一 本件は、被告から懲戒解雇処分を受けた原告らが右解雇の効力を争い、現在も労働契約上の権利を有する地位にあることの確認を求めるとともに、給与及び一時金の支払い並びに損害賠償を求めた事案である。
二 争いのない事実等
1 被告は、通称「萬谷商店」と呼ばれ、中国地方各地の獣畜等副成物(牛や豚の皮、骨、肉、臓器等)を集荷して加工処理し、原皮の塩蔵、油脂の製造、ミートボンミールの製造及びこれらの販売を業とする法人である。従業員は四五名前後であり、広島市内に本社と工場を、岡山等五か所に営業所を有しており、年間約一〇億円の売上をあげている。
その代表者(代表理事)は萬屋正一であり、正一の長男萬屋が専務理事に、二男萬屋洸及び三男萬屋隆が常務理事に就任して経営に当たっている(<証拠略>)。
2 原告らは被告の従業員であり(争いない。)、また被告の従業員らで組織する広島県西部労働組合合同支部萬谷分会の組合員であり、原告中川は同分会の委員長の職にある者である(<証拠略>)。
3 被告は、原告らに対し、昭和六一年三月一三日、就業規則四〇条二、三、四号に基づいて懲戒解雇(以下、本件解雇という。)する旨の意思表示をした(争いない。)。
4 被告会社の就業規則四〇条には、「従業員が、次の各号の1に該当する場合は、懲戒解雇に処する。」と記載されており、その各号の内容として、「2 再三注意したにもかかわらず、出勤態度が常でないもの、3 再三注意したにもかかわらず、業務に対する熱意誠意がなく怠惰なもの、4 会社の指示命令に従わず、故意に職場の秩序をみだしたもの、」との記載がある(<証拠略>)。
第三争点
一 被告が原告両名についてなした本件解雇について
1 懲戒解雇事由があるかどうか。
2 解雇権の濫用になるかどうか。
3 不当労働行為に該当するか。
二 仮に懲戒解雇として無効であったとしても、普通解雇として有効か。
三 賃金及び一時金等の請求の成否
原告らの主張する賃金、一時金の請求及び損害は次のとおりである。
1 賃金(毎月二五日締め二八日払い)
原告中川の賃金は月額二二万三九二九円であり、昭和六一年二月七日以降が未払いである。
同石川の賃金は月額二二万六二五〇円であり、昭和六一年二月七日以降が未払いである。
2 一時金
被告は、毎年七月三一日までに夏季一時金を、毎年一二月二五日までに冬季一時金を支払っているところ、昭和六〇年度は、原告中川は夏季一時金は二五万円、冬季一時金は二〇万円であり、原告石川は夏季一時金二六万円、冬季一時金二〇万円であった。しかし、この冬季一時金は、例年よりも五万円程度減少しており、通常の計算方法であれば、原告両名とも二五万円を下らないものである。
三(ママ) 損害賠償の請求
1 仮処分提起の損害 各一五万円
原告らに対する解雇処分は、明らかな不当労働行為であって、違法である。しかるに被告が地方労働委員会(以下、地労委という。)での斡旋、団体交渉にも応じないため、やむなく地位保全の仮処分申請をなした(当庁昭和六一年(ヨ)第一二八号)。この弁護士費用及び訴訟費用・コピー代等は本件に関して生じた損害である。
2 慰謝料 各一〇〇万円
被告の違法な解雇のため、原告らは職を失い、仮処分決定が出るまでの間の四か月間は収入の道を閉ざされた。また、昭和六一年七月三日、原告らの請求を全面的に認める仮処分が出たのにこれに従わず、不当に抗争したため、本訴提起の止むなきに至った。
3 弁護士費用 各三〇万円
四(ママ) 被告の主張
原告らに対する懲戒解雇事由の詳細は次のとおりである。
1 原告中川
(1) 遅刻、早退、欠勤が多い。特に遅刻は著しく再三注意しても改まらない。
昭和六〇年一月から昭和六一年一月までの遅刻、早退、欠勤の状況は別紙(一)(略)のとおりである。
(2) 仕事中居眠りが多く、真面目に仕事をしない。
(3) 整理、整頓、点検を怠るなどの不誠実な勤務態度が再三注意しても改まらない。
原告中川はレンタリング工としてミートボンミールの機械(モーター)の点検、掃除もしなければならないが、これらを怠ることが再三であり、アンペアーをみるふりをして居眠りをすることが多かった。そして毎日のように注意したが、ときには大声で「いま、やりようるじゃないか。」と反抗することもあった。
これらの勤務態度は、就業規則四〇条三号、四号に該当する。
2 原告石川
(1) 遅刻、早退、欠勤が多い。特に早退が多く、再三注意しても改まらない。昭和六〇年一月から昭和六一年一月までの遅刻、早退、欠勤の状況は、別紙(二)(略)のとおりである。
(2) 従業員に暴力を加えたりして同僚との折り合いが悪く、職場の秩序を乱し、注意しても改まらない。
その詳細は次のとおりである。すなわち、原告石川が塩場で仕事をしていた際、同僚の松下が同原告にパレットを近くに持って来るように言ったところ、「お前の命令は受けん」と言って松下の頬を二、三回拳骨で殴った。また龍輪が牛皮を塩蔵する際に、同原告が横着なので注意したら、「お前はわしより遅う入っているのに文句をたれるな」等の暴言を吐いた。更に高木(女性)の言うことを聞かず、脅し文句をいうので、高木は「一緒に仕事をするとノイローゼになりそうだ」と言ってきたので同原告に注意をしたが、いうことをきかなかった。このときは解雇をしようかとも考えたが、被告代表者の萬屋正一が「もう一度だけチャンスをやってくれ」と言ったので、これを思い止まった。
そして原告石川自身、もう一度真面目にやるから内臓場へ戻してくれと頼んだので、同年二月半ばから戻したが、やはり貰った内臓を特定の同僚へやる等して同僚の仲を割くようなことをした。
(3) 仕事中飲酒して、職場の秩序を乱した。
原告石川は、寒くなると酒を飲んで仕事をするので、取引先の食肉枝肉会社の者からこれを指摘されて被告専務が石川に注意をした。また市場の技術員からも「石川は酒を飲んで仕事をするので危ないから屠場へ出入りさせないでくれ」と言われたので、原告石川を塩場(屠場から集荷してきた牛、馬の皮を洗浄し、塩蔵する仕事)へ配置転換した。
(4) 腰痛があると虚偽を言って早退し、松茸狩りに行ったり、他の従業員をいびったり、暴言を吐いたり、その傍若無人な態度は、職場の秩序を著しく乱している。
被告は昭和六〇年一〇月半ばころ、腰が痛いと言って帰り、山に行って松茸をとっていた。そしてそれを同僚に自慢し、また特定の同僚にやって仲間割れをさせたりしていた。
(5) 特定の業者の手伝いをして内臓やリベートをもらったりして、職場の秩序を著しく乱した。
原告石川は、昭和五八年秋ころから屠殺場(屠殺された牛、馬等から食肉卸売業者六四社が食肉、ホルモン等を取り、その取り外した後の油、頭、足、皮その他の副生物を集荷する仕事)に勤務していたが、同屠殺場に出入りする業者のうち新長等特定の業者の集配の手伝いをし、他の業者の手伝いはしないので、不公平があると苦情がきた。また、特定の納入業者から内臓やリベートを貰ったり、このもらった内臓等を特定の同僚にやったりして、同僚間の仲を割くようなことをした。
以上の事実は、就業規則四〇条二号、三号、四号に該当する。
第三(ママ)争点に対する判断
一 まず、本件懲戒解雇に至った経緯を検討する。
証拠(<略>)によれば、次の事実が認められる。
1 原告らは、いずれも昭和五八年三月に職業安定所(以下、職安という。)を通じて被告に就職し、以後被告の従業員として働いてきた。
2 被告が、昭和五八年一月六日付で職安に出している求人公開カード(<証拠略>原告らが就職に際して示されたもの。)には、労働日は月曜から土曜までで、労働時間は午前八時から午後五時までであること(日、祭日は休日)、賃金は一日五五〇〇円(日給)で、この外、皆勤手当一万五〇〇〇円、運転手当四万円(運転業務に従事するもの)、住宅手当が家賃の半額(持ち家の人は一万円)、家族手当五〇〇〇円(以上はいずれも月額)が支給される旨及び昇給は一年に二回で、五〇〇〇ないし一万円であることがそれぞれ記載されており、原告らはこれをみて就職してきたものであるが、就職してみると、その労働条件は必ずしもはっきりしたものではないことが判明してきた。
すなわち、被告はいわゆる同族企業で、前記のとおり親子、兄弟で経営に当たる外、経理等の仕事もそれぞれその妻たちが担当していたので、一般の従業員らは被告の経営、経理等の実体はまったく分からず、更に経営者が従来労務管理に疎かったこともあって、就業規則や賃金規定を作成しておらず、もとよりその備付けもしないので(被告は、就業規則を職場に備えつけなければならないことは、原告中川からその明示を求められた昭和六〇年九月ころまで知らなかった。)、従業員らは、皆勤手当は遅刻、早退が八時間までは許されるとか、住宅手当は三日か四日休んだら削られるらしいとか、有給休暇はない等ということを推測を交えて話すだけで、本当はどうなっているのかを知らなかった。また残業時間の計算にしても五時二〇分を過ぎれば残業だというものの、それが一分単位で計算されるのか、二〇分刻みで計算されるのか誰も知らず、七月と一二月が一時金の支給月であることは知らされていたが、それが何日なのかも分からず、しかもそのようなことを被告に聞けないというのが、職場の雰囲気であった。また休日出勤の時も、古い従業員を通して「今度の休日は仕事がある」と伝言させるだけであった。
3 昭和六〇年春頃、従業員の一人が、残業手当が予想より少ないので不審に思い、被告の事務所(被告役員の妻)に尋ねたところ、「今月から残業は、五時二〇分を過ぎた場合ということになりました。みんなに言って下さい。」という返事であり、結局これまでは五時を過ぎれば残業とされていたのを、一方的に五時二〇分を過ぎれば五時から残業とするが、五時から五時二〇分まで働いた場合は残業を認めないというものに変更するという出来事があった。しかし、このときは従業員は表立って文句をいうこともなく、一応これを受け入れたかたちになっていた。
4 ところが、同年八月二八日に、被告の専務が従業員一人一人に給料を渡しながら、「来月から遅刻、早退を一回でもしたら精皆勤手当を削るようにする」と通告した(従来は、遅刻、早退時間の合計が、一か月八時間を超えない場合にはこれを支給していた。)ので、従業員は非常に驚くとともに、不満をつのらせた。
5 原告中川は、翌日、被告の事務所に行き、専務の萬屋に対し、皆勤手当の条件変更の撤回と就業規則の明示を求めた。はこのときは、同年九月七日までに返答すると約束したが、同月四日説明会を延期する旨の連絡をしてきた。被告の従業員らもこの成り行きに多大な関心を示し、原告らを含む従業員二四名が、「要望書」に各自署名し、これを被告に提出するなど、これまでにない動きをみせた。
6 同月一二日に被告は「説明会」を開催し、ここで就業規則を全員に配付したが、これは家族手当、運転手当、住宅手当等の条件を従来よりも引き下げるもので、一万五〇〇〇円から人によっては三万円位減収となるものであった。また、懲戒解雇の規程の内容が非常に曖昧でかつ従業員に厳しいものであったことにも、原告中川は驚きを感じていた。
7 ここに至って、同月二二日、原告らは、従業員二四名とともに「萬谷商店」労働組合を結成し(<証拠略>)、同月二四日、被告に組合結成を通知した。そして原告中川は委員長、同石川は執行委員になった。
「萬屋商店」労働組合は、組合結成の通知とともに就業規則の内容等について協議するための団体交渉の申し入れをし、同日団体交渉がもたれた。そして前記被告の一方的労働条件の変更について話し合いをした結果、精皆勤手当については遅刻、早退が三回または通算四時間を超えた場合は一日の欠勤とみなすこと、家族手当、運転手当、住宅手当についてはこれまでどおりとすることで合意ができた(<証拠略>)。
ところで、このとき被告は「労働組合」という名称は業界に対しイメージが悪いので「従業員の会」と称するようにしてくれと申し入れ、同組合もこれを容れて「萬屋商店従業員の会」と称することとし、その旨の確認書を取り交わした(<証拠略>)。
8 ところが、被告は同月二七日に全従業員を集めて「説明会」と称する会合を開き、この場で組合員一人ずつに発言をさせたり、またこのころからは団体交渉には応じないとの態度をはっきり打ち出してきた。
この席で就業規則の懲戒解雇規程の削除、書換えを求めた組合に対し、被告役員は「そんな重箱の隅をつつくようなことを言わんでも、誰もあんたらを取って食おうとは思うとらん」と言い、これを受けて従業員の白野が「これまで一度も処分の例がないんだから、これまでどおりやっていたらいいということだから、細かい所にこだわる必要はない」と発言し、原告中川が「これまでどおりにやっておれば、処分の対象にならないということですね。」と念を押すと常務の隆が「そういうことです。いままでどおりにやってもらったら問題ありません。これはただ形式的なもので、規則の文書にしたらこうなるだけのことです。」と答えるというやりとりがあった。
また、同年一一月九日には、従業員全員を集めて残業手当、有給休暇についての説明をしたが、この席で労働組合員であった西本が、酒をのんでやってきて被告の意に沿った発言をするなどし、そして、同年一一月末頃に、被告は「時間外労働、休日労働に関する協定届」(いわゆる三六協定)を作成するに当たり、労働組合には話をせず、西本に署名させ、これを労働基準監督署に提出した(証拠萬屋隆は、この点に関して、従業員のうち、もっとも年長である西本に署名させたと述べる。)。こうしたことから、労働組合は臨時大会を開いて西本を除名処分にすることとし、西本は組合を脱退した。
また、被告は同年一二月頃からは、休んだ場合に「届出書」を出させるようにした。また被告役員は就業規則を定めてからは有給休暇を与えるとしながらも、実際には従業員に対し、「昭和六〇年度の有給休暇は全部買い取らせて貰いたい」と発言し、これを認めようとはしなかった(組合員の桑原は、昭和六一年一月六日に急病になり、被告に「医者に行くから有給休暇にしてほしい。」と電話したところ、被告役員は「有給休暇は認めん」と答えたので、怒って退職した。また竜輪も事前に有給休暇の申請をして被告から断られた。)。
加えて被告は、昭和六〇年冬季一時金の支給につき、団交を拒否して一方的に支給日を通常より一〇日も遅らせて、一二月二五日に支給し、しかも金額も例年の六〇パーセントを支給した。
こうした被告の組合に対する強硬な姿勢に直面して、組合員の中には動揺が生じ、組合からの脱退、退職が相次ぎ、組合員は同年一二月には一四名、同六一年一月には八名に減少した。
9 昭和六一年一月一八日、労働組合は、被告に要求書を手渡すとともに、重ねて団交の申入れを行ったが(<証拠略>)、被告は要求書の受取りも拒否した。
10 このため労働組合(当時八人)は同月二一日ストライキを決意し、その通告のため原告両名が被告事務所に赴いたが、被告の専務である萬屋は原告石川の持っていた組合旗を奪おうとし、これを遮ろうとする原告石川との間で揉み合いとなり、また萬屋は団体交渉を求める原告中川に対し「八人か九人の組合、笑わすな」と言い、常務の萬屋洸は「お前らは全員解雇する」と述べるなど、通常の話合いは困難な状況であった。
ストライキは同年二月六日まで続けたが、この間のやりとりで、原告ら組合員は少数の者で被告と対等の話合いをすることは無理だと考え、二月六日にスト解除の通告をすると同時に、広島県西部労働組合合同支部に加入した(証拠略)。そして、同日午後五時をもってストライキを解除した。
11 翌七日、原告両名を含む組合員全員は出社して就労しようとしたところ、被告は就労を拒否して職場に入れなかった。その後も度々就労について申し入れないし交渉をもち、また広島県労と食肉市場専務理事福原新太郎の斡旋も受けて交渉をしていたところ、同月一四日及び一七日の交渉を通じて、被告は組合員の四名(小山、今泉、河本、奥村)については同月二〇日から就労を認めるが、原告両名及び勝田、川脇は解雇する旨述べ、解雇の理由については明らかにしなかった(しかし、正式に解雇の意思表示がされたものではない。)。
12 同年三月八日に広島地方労働委員会(以下、地労委という。)で斡旋を受け、労働組合は<1>四人の就労を認めること<2>団体交渉を行うこと、の二点を要請したが、被告はこれに応じようとはせず、地労委は同月一七日に第二回目の斡旋を行うことを提案し、労働組合、被告もこれに同意して終了した。
ところが、同月一三日に被告は原告両名を懲戒解雇処分にするとの通知をなしてきたのである。
二 そこで、次に本件解雇の効力について判断する。
1 解雇事由の存否について
(原告中川)
(1) 解雇理由(1)について
証拠(<証拠略>)によれば、原告中川は昭和六〇年一月から昭和六一年一月までの間に遅刻が一五三回、早退が一八回、欠勤が一二回あったこと、遅刻した時間の内訳は、五分以内の遅刻が六一回、六分から一〇分以内が一九回、一一分から六〇分が四一回、一時間以上が三二回であったこと、早退のうち一〇分以内のものが一三回であったこと、欠勤のうち五日は後記のストライキによるものであることがそれぞれ認められる。
このように、数字の上から見るかぎりにおいては、同原告の遅刻の回数は、かなり多いということができる(しかし、早退、欠勤は、他の従業員に比して多いとは見られない。)。
ところで、前掲証拠によれば、被告では有給休暇がなく、休暇をとれば、その分を賃金カットされ、しかも精皆勤手当が貰えなくなり(精皆勤手当の一万五〇〇〇円が貰えるかどうかには、従業員はかなり神経を使っていた。)、他方で遅刻、早退が一か月八時間を超えない場合は精皆勤手当が支給されることになっていたので、従業員たちは用事がある場合でも極力休暇はとらず、遅刻または早退をして所要(ママ)を済ませるという方法をとっていた。したがって、被告では一般に遅刻、早退が多いという傾向にあった(例えば、同じ期間に、西本の場合、欠勤二〇、早退六八、松下の場合は欠勤一六、早退二四、白野の場合欠勤八、遅刻一六、今泉は欠勤六二、早退二六、遅刻二〇である。)。
そして、原告中川にあっては、そのようなことに加えて、妻も仕事をもっていたので、子供(当時六才と三才位の二児)を保育園に連れていかなければならなかったこと、特に長男が病弱で病院に連れて行くことが多かったこと等により遅刻が多いという事情もあった。
また同原告には、五分以内の遅刻も目立つが、これは同原告が殊更に出勤してすぐにタイムカードを押さず、着替えを済ましてからタイムカードを押していたことによるもので、同原告はこのようなことをした理由として、実働しない時間も記録されるというように受け取られるのを避けたためであると述べているが、当時被告のなかでは従業員同士が必ずしも友好的でなかったと思われることを考慮すると(この点は、本件の審理の中でも窺われる。)、つまらない陰口を受けないように配慮したというのも一応首肯するに足る事情というべきであり、右の供述は一応措信できるものである。
また、同原告は遅刻する場合は、予め被告に電話でその旨の連絡をしていたこと、これらの遅刻も昭和六〇年九月以降は非常に少なくなっていること、早退は一〇分以内のものが一三回であるが、これは仕事が早く片づくと、被告の役員から「仕事を終わって上がれ」と言われるためであること(被告ではこのような場合も賃金カットをしていた。)、被告も遅刻、早退等はその分賃金カットをするので経済的な損失を被るわけでないこともあって、後期就業規則ができるまでは遅刻や早退については、そう厳しく管理していなかったのが実情であり、したがって原告中川に対しても、遅刻に対して注意をしたり、苦情を述べるといったことはなかった、以上の事実を認めることができる。
(2) 解雇理由(2)について
証人白野勝久、同箕島寿千代は、原告中川はエキスペラ(ミートボンミールを作る機械)の操作をしているとき、計器の傍に腰掛けて目を瞑って腕組みをしていることがよくあり、エキスペラからスラッジ(残滓)が溢れた状態になっているのを良く見掛けたとの証言をしている。
しかし、原告中川の供述によれば、機械場の計器の前は高い位置にあり、また熱気が充満している危険な場所であること、眠るようなスペースもないこと、その仕事は機械が順調に作動しているときは椅子に座って計器の針の動きを見ながらバルブを開閉して調整し、蒸気の出る音の変化を聞き分ける事が重要であって、このため目を瞑っていることも多いがこれは眠っているのではないこと、また他の従業員も同様であったこと、これまで同原告は居眠りをしていると注意されたこともないし、仕事上のミスもなかったことが認められ、これらのことからすれば、居眠りがあったとする前記証言は措信することができず、他に原告中川が居眠りをしていたことを認めるに足る証拠はない。
(3) 解雇理由(3)について
右事実を認めるに十分な証拠はない。なお、(証拠略)によれば、同原告の解雇理由としては早退、遅刻、欠勤が多いこと、勤務中の居眠りを挙げて居るに過ぎず、職場の整理、整頓、点検を怠る等の事実は挙げられていないものであって、このことからしても、同(3)は後に付加されたもので、もともと問題とされていなかったものと推認できる。
以上認定の事実に照らすと、原告中川に対する懲戒解雇の事由の(1)については、同原告の遅刻の回数は確かにかなり多いけれども、もともと就業規則の同規程があいまいな概念で、それ自体問題があること(この規程が以前労働組合で問題になった事は、前記に認定したとおりである。)、被告が遅刻等に関してこれまで同原告に注意をしたり、文句を言ったことがないこと、前記(1)において認定した諸事情並びにこれまでの被告の対応に照らすと、懲戒解雇の事由としてはきわめて薄弱であるということができる。
そして、前記一において認定した事実や解雇の時期等に照らして考えると、被告が同原告を懲戒解雇処分にしたのは、被告が原告らの組合結成やストライキを嫌悪し、これに指導的にかかわった原告中川を被告から排除することを目的としたものであることは明らかであるから、本件懲戒解雇処分は不当労働行為に該当し、かつ解雇権の濫用であって無効である。
(原告石川について)
(1) 解雇理由(1)について
証拠(<証拠略>)によれば、同原告の昭和六〇年一月から昭和六一年一月までの間の遅刻は九回、早退は五七回、欠勤は一四回であること、早退のうち一〇分以内の早退が四二回であること、欠勤のうち五日はストライキによるものであることが認められる。
そうすると、原告石川の遅刻の回数は、他に比して決して多いとは言えず、早退日数はやや多いが、原告石川本人尋問の結果によれば、被告の役員から「今日は仕事が終わったからもうあがれ」という指示をされ、このため早めに切り上げたことが多いこと(被告にあっては、早く終わるとその分賃金を支払う必要がなくなるため、そのような指示をすることがよくあった。)が認められ、このことは同原告がこれまで早退が多いと注意されたことがないことに照らしても措信できる。
そうすると、被告石川については、この点における解雇事由は認められないものである。
(2) 解雇理由(2)について
証人萬屋隆は、その証人尋問において、昭和六〇年頃職場で従業員の松下が「パレット(動物の皮を乗せるもの)を寄越してくれ」と言ったところ、原告石川が「お前にいちいち言われることはない」と答えたので口論となり、殴り合いになったと述べており、これはどちらが先に殴りかかったかを別にすれば、原告石川本人の供述ともほぼ合致するものである(原告石川は、松下が殴りかかって来たので、相手をしたと供述している。)。しかし、これはもともと同僚間の些細な喧嘩に過ぎず、時期的にも解雇のかなり以前の出来事であるのに、当時特段問題ともならずにきたこと、その後松下は常務の萬屋洸と口論をして結局被告を辞めていること(<人証略>)とも考え併せると、むしろ松下に問題があったとも考えられるものである。
前記萬屋証人は、その外にも原告石川が粗暴であったとか、昭和五九年末頃、高木という女性の従業員から、原告石川が厭味をいうのでノイローゼになりそうだと訴えられたので、その頃原告石川を呼んで「何を考えておるんか、お互い同僚だから働く以上は仲良くせにゃぁいけんじゃないか」と言ったと述べ、更に勤務態度も悪く同僚ともうまくいかないので解雇を考えたことがあると述べるが、同証人のこれらの供述は、原告石川の供述と対比すると、俄に措信できないものである。
その外に原告石川が同僚と喧嘩をしたとか、職場の秩序を乱したという事実を認めるに足る証拠はない。そうすると、前記松下との喧嘩の一件をもって懲戒解雇事由に該当する事実といえないことは明らかである。なお、この事由は、解雇通知には記載のない事項である。
(3) 解雇理由(3)について
証人萬屋隆の証言中には、昭和五九年二月から四月の間、原告石川が屠殺場で酒を飲んで仕事をしていたと他の会社の従業員から聞き、石川を呼んで問い質したところ、石川はそのような事実を認め、「寒いから飲んだ」と答えの(ママ)で、塩場に配置転換をしたと述べる部分があるが、原告石川はそのようなことはなかった旨述べるものであり、塩場への配置転換も同年五月か六月であったこと(被告石川の供述)に対比すると、右萬屋隆の証言は措信できない。なお、この事由も当初の解雇通知には記載のない事項である。
(4) 解雇理由(4)について
証人萬屋隆の証言によれば、原告石川は昭和六〇年一〇月半ば頃、腰が痛いと言って早退して松茸を取りに行ったこと、その松茸を特定の同僚に配っていたということを他の従業員から聞いたが、このようなことは同僚間の仲を割くことで、他の従業員からも苦情が出ていたと述べるものである。
原告石川が早退をして松茸を取りにいったことがあったかどうかははっきりしないが、仮にそのようなことがあり、その松茸を同僚の一部のものにやったとしても、それが懲戒解雇の事由に該当するとは到底考えられないものである。この解雇事由も、解雇通知には記載のない事項である。
(5) 解雇理由(5)について
前記萬屋証人は、屠殺場勤務の者には特定の業者の手伝いをしないように注意していたが、原告石川は屠殺場勤務当時食肉業者である新長の手伝い(荷物を運んでやった。)をし、その見返りとしてホルモンなどを貰っていた、また金なども貰っていた。注意をしても聞かないし、貰ったホルモンを一部の者に配るので、従業員同志の揉め事も起こったと述べている。
原告石川の供述によれば、職場で頼まれて重い荷物を持ってやったことはあるが(新長は女性であり、出入りの業者には女性も大勢いた。)、頼まれればいやとはいえないし、それは特定の者ではない、また時間にしても、わずか一分程度のものであること、被告専務の萬屋からも「ちょっとさげてやれ」と言われて手伝ったこともあると述べるところであり(もっとも後になると、手伝わなくともよいというようになったと述べている。)、またホルモンを貰うことについても、いろいろな業者からときどき「酒の肴にもって帰りなさい。」と言われて貰ったことはあるが、それはリベート等という大袈裟なものではないし、また他の従業員らもしていたことであること、これを被告から注意されたこともないと述べるところである。
証人西本もこの点については貰ったことがある旨述べていること、ホルモンを分け与えたことで揉め事が起こったと認めるに足る証拠もないこと、これまで被告においても問題とした形跡が認められないこと等の事情からみると、いずれにしてもこれが懲戒解雇の事由に該当する出来事とは考えられないところである。
そうすると、原告石川については就業規則所定の懲戒解雇に該当する行為はなかったものであるから、その余の点を判断するまでもなく懲戒解雇処分は無効である。
よって原告らに対する懲戒解雇はいずれも無効である。
三 通常解雇としての効力
被告は仮に懲戒解雇としては無効であったとしても、普通解雇の意思表示も含んでいるから、普通解雇として有効であると主張する。
しかしながら、前記認定のとおり、解雇は不当労働行為に該当し、かつ解雇権の濫用に該当するものであるから、これは通常解雇としても同様の評価を受けるべきものである。
よって、右主張は、その余の点を判断するまでもなく、失当である。
以上のとおり、原告らに対する解雇は無効であるから、同人らは被告に対し労働契約上の権利を有する地位にあるものというべきである。
四 賃金、一時金等の請求について
1 賃金、一時金の請求について
前記のとおり、原告らは被告に対し労働契約上の権利を有する地位にあるものというべきところ、証拠(<証拠略>)によれば、原告らはストライキを解除した後の昭和六一年二月七日に、就労すべく出勤したが就労を拒否され、その後現在に至るまで被告から就労を拒否されていること、同月七日以降の給与、一時金の支払いを受けていないこと、被告においては給与は毎月二五日締め、当月二八日支払いの方法で支払っており、一時金については毎年七月三一日までに夏季一時金の、一二月二五日までに冬季一時金の支払いをしていたこと、原告中川の最後に受けた三か月の平均給与は二二万三九二九円、昭和六〇年度の夏季一時金は二五万円、冬季一時金は二〇万円であり、原告石川の同じく三か月の平均給与は二二万六二五〇円、昭和六〇年度の夏季一時金は二六万円、冬季一時金は二〇万円であったことがそれぞれ認められる(昭和六〇年冬季一時金が前年度の六〇パーセントであったことは、昭和萬屋隆の証言によって明らかであるが、その理由は原告らの主張するように嫌がらせでしたと直ちに認めることもできないので、昭和六〇年の支給額を基準にした。)。
従って、被告は原告らに対し、昭和六一年二月七日から平成二年九月七日(本件口頭弁論終結の日)までの賃金、一時金及び同年九月八日以降の賃金及び一時金(これは将来の請求であるが、本件の経過に照らすと、予め請求をする利益と必要があると認められる。)を支払うべき義務がある。
しかしながら、原告らの賃金及び一時金の請求のうち、本判決確定後の分については、現時点において予めその請求をする利益がないものと認める。
五 損害賠償請求について
前記一1ないし12において認定した事実によれば、被告のこれまでの労使関係は、従業員を四〇数名を擁している企業にしては前近代的なものであり、そこで突如結成された労働組合に対し、被告役員は対処すべき方法が分からず、ただ無闇に労働組合ないしその構成員を嫌悪し、これに指導的役割を果たした原告らを排除することに汲々とする余り、これまで殆ど問題にもされなかった事柄をも解雇事由として挙げて懲戒解雇に踏み切ったものということができる。以上の経過からみると、被告は原告らを懲戒解雇事由がないのに懲戒解雇処分に付した点ないし解雇権の濫用について少なくとも過失があったというべきであり、これは不法行為に該当するものである。
よって、被告は原告らの以下の損害を賠償するべきである。
1 仮処分提起の損害及び弁護士費用
原告らが本件解雇処分に対し地位保全の仮処分申請をしたことは、(証拠略)により明らかである。そして原告中川本人尋問の結果によれば、右仮処分申請に弁護士を依頼し、弁護士費用及びその他の費用として各原告につき少なくとも一五万円を要したこと、本訴についても弁護士に依頼し、費用を各三〇万円支払ったことが認められる。
これらは被告の右不法行為による損害であるから、諸般の事情を考慮し、原告らにつきそのうちの各三〇万円を本件と因果関係のある損害と認める。
2 慰謝料
前記一7ないし12において認定した事実及び本件解雇事由が被告中川にあっても極めて薄弱であり、被告石川にあっては存在しないこと、しかるに被告は原告らを本件懲戒解雇処分に付したものであるから、被告の不当性は大きいと言うべきであり、これらにより原告らの受けた精神的苦痛は、解雇の無効を宣言し、その間の賃金を支払うことのみでは償えないものと思料する。
この精神的苦痛に対する慰謝料としては、原告両名につき各三〇万円とするのが相当である。
(裁判官 浅田登美子)